舞台芸術アーカイブが紡ぐ文化と経済の好循環
――EPADと演劇博物館による創造的循環のモデル

早稲田大学教授 岡室 美奈子


 筆者は文化審議会文化経済部会委員を5期務め、日本の文化振興のための文化と経済の循環について議論してきた。本部会では第1期以来現在に至るまで、文化と経済の好循環を実現するには二つの創造的循環を連動させる必要があると考えてきた。すなわち、文化芸術を通じて社会を耕すことで「土壌」を作り、様々な活動の「場」を醸成し、「樹木」に当たる文化芸術やその担い手が豊かに育つ「第1の循環」と、「第1の循環」から生み出された「樹木」=文化芸術が国内外の社会において経済的価値へと転換され、そこで生み出された付加価値が再び「第1の循環」に還元されていく「第2の循環」である。
(詳細は、文化庁文化経済部会のWebサイトをご覧いただきたい。https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/bunka_keizai/

 しかし二つの循環を連動させ、文化と経済の好循環を確立するのは容易ではない。そこでここでは、筆者の早稲田大学演劇博物館館長時代の活動と、現在理事を務めている一般社団法人EPADの活動を、僭越ながら一つのモデルとして紹介させていただきたい。

 EPADは緊急事態舞台芸術ネットワークと寺田倉庫の共同事業として立ち上げられた、舞台芸術アーカイブ+デジタルシアター化支援事業(Eternal Performing Arts Archives and Digital Theatre)である。2020年にコロナ禍により劇場が閉鎖され、日本の舞台芸術界は戦後最大の窮地に陥った。その救済策として文化庁が立ち上げた文化芸術収益力強化事業に採択されたことから、EPADの活動が始まった。当初のスキームは、文化庁から大型の助成を得て、全国の劇団・劇場等が保有する舞台公演映像のデジタルデータを収集し協力対価を支払い、さらに舞台公演の新規映像収録や配信を可能にするための著作権処理を支援することで、困窮する舞台芸術界に国の資金を還元するというものであった。すなわち国の資金を使って舞台芸術創造活動によって生み出された公演映像を経済的価値に転換し、制作現場に還元する仕組みである。

 当時筆者が館長を務めていた早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(通称「演博」)は、この事業に協力することになった。その背景には、多くの劇団や劇場で公演を記録した貴重な映像が「死蔵」されていることへの危機感があった。VHSに録画されたものは日々劣化に晒され、デジタルデータで保存されているものもメディアの耐用年数にかかわらず放置されているという実情をかつて調査したことがあり、貴重な文化資源を放置してよいのかという強い思いがあったのである。EPADは収集した公演映像や舞台写真、フライヤー等のデジタルデータのほぼすべてを演博に寄贈し、演博はそれらをアーカイブし情報検索サイトJapan Digital Theatre Archives (JDTA) を構築した。( https://enpaku-jdta.jp/

 一般ユーザーがこのサイトでどのような公演映像があるかを検索し、演博のAVブースで希望する映像を見られるよう、システムを整えた。JDTAは、特定の劇団や俳優のファンでなくとも多様な舞台芸術と偶然の出会いができる設計にした。また、EPADが著作権処理をした映像については、サイト上で3分間の抜粋映像を閲覧可能にするなどさまざまな工夫を施すことで、コロナ禍で劇場休館中も演劇ファンの裾野を広げ、新たな観客を獲得することを目ざした。演劇博物館はアジアで唯一の舞台芸術と映像の総合博物館として、展示や研究を行うだけではなく舞台芸術文化を振興するという社会的使命を担っており、JDTAはそれを具現化するものでもあったと言える。これは、EPADが収集した公演映像を使って、集客という形で舞台芸術の制作現場に還元する取り組みでもあった。演博は、2022年度には文化庁「大学における文化芸術推進事業」に採択され、舞台芸術アーカイブ人材育成事業「ドーナツ・プロジェクト」を立ち上げ、アーカイブを担いうる人材の育成を開始した。現在はEPADが、形と名称を変え「舞台芸術アーカイブ講座」として、この事業を引き継いでいる。筆者も2023年度末に演博館長を退任し、その後EPAD理事として同事業や教育事業に携わっている。

 コロナ禍収束後もEPADは文化庁の助成を受け、現在では4,717作品の公演映像を収集し、大型助成最終年度とされる本年(2026)年度には5,000本達成を目指している。ほかにも日本劇作家協会と連携して戯曲デジタルアーカイブの、日本舞台美術家協会と連携してJATDT舞台美術作品データベースの構築を支援し、さらに権利処理が完了した映像を配信に供するだけではなく上映会を全国で行っているほか、教育利用の道も模索している。

 こうした事業を先述の二つの循環に当てはめてみれば、EPADや演博の取り組みは主として第2の循環に関わっていると言える。公演を中心とする舞台芸術創造活動や俳優・スタッフの養成、劇場整備などが第1の循環に含まれるなら、EPADは公演映像を収集して協力対価を支払い、著作権処理を支援して上映会や配信に供することで収益化し、第1の循環に還元する。演博のJDTAもこの循環の一端を担っている。その一方で、収集した映像の教育活用やアーカイブ人材育成事業は土壌を豊かにする第1の循環に関わるだろう。

 二つの輪が連動して自律的・持続的に循環すれば理想的だが、言うまでもなく、公演映像の配信や上映、教育事業や人材育成事業を収益化するのはそう簡単ではない。EPAD自体も、大型助成終了後に多角的な事業を抱えていかに自走しうるかが課題である。芸術文化と経済を持続的に循環させていくには、国の文化政策に根差した継続的な公的支援の重要性は言を俟たないが、文化経済部会で議論してきたように、民間からの寄付・投資やそれを支える様々な税制優遇制度も必要であろう。

 ここでは舞台芸術を例に文化芸術と経済の循環について述べたが、多様なジャンルの循環の輪が連動しながら大きな渦を形成することで、日本の文化芸術は活性化していくのではないだろうか。