それでも、私は「市場」を信じた。障害とアート、経済のあいだで。
株式会社ヘラルボニー
代表取締役Co-CEO
松田 崇弥
「戦略的と本能的とが混ざってるのがいい広告なんです。ちゃんと矛盾を含んでいるから」
『すべての仕事はクリエイティブディレクションである。』の著者・古川裕也さんに良い広告の条件について訪ねたとき、彼はそう言い放った。私は反射的にメモを取った。ああ、この七年間は、確かに「広告的な手法」だったのかもしれない。広告というのは、何かを売る技術ではない。世界の見え方を、ひっくり返す技術なのだと、その瞬間だけは、迷いなく思えた。
日本では長らく、障害のある人の表現は「市場の外」に置かれてきた。善意の名のもとに、経済的評価の回路から切り離されてきた。作品は称賛される。しかし、その称賛はしばしば「かわいそう」と同じ棚に並び、結果として等価な価値としては扱われない。私はその構図に、強い違和感があった。なぜなら私の心の中心には、重度の知的障害を伴う自閉症の兄がいるからだ。社会は、作品より先に「誰が描いたか」で意味づけてしまう。「障害者の絵」というラベルが、作品の前に立つ。その瞬間にその活動は「福祉活動」と同義になる、私はその順番を変えたかった、変えられると思った。
だから、私はヘラルボニーを創業するとき、「会社」ではなく「ブランド」をつくろうと決めた。福祉とアートの言語では、届けたい相手にはずっと届かないと直感したからだ。かつて私の兄を嘲笑した地元の先輩や同級生たちは、福祉やアートには絶対に反応しない。しかし、ブランドには反応する。彼らが夢中になっていたのは、ルイ・ヴィトンやブルガリといった名前が呼び起こすイメージであり、憧れであり、物語だった。ならば、こちらもその土俵に立てないのだろうか。ブランドになれば、出身地である岩手の田舎の空気にだって届く。そういう確信を抱いていた。
ブランドとは、ロゴでも、広告コピーでもない。名前を聞いた瞬間、無意識に立ち上がる感情・期待・物語の総体である。アップル、エルメス、ナイキ、パタゴニア・・・それらは商品以上に、人の頭の中に住みつく「記憶の編集物」を売っている。だからこそ創業期に、私は図を描いた。障害のイメージを、ぐるんぐるんとひっくり返すために。障害に関心のなかった層に本気で届けるために。従来の福祉が持つ言葉の温度や視覚の文法から、あえて反対方向に突っ走ろうと決めた。虹がかかるポスターの世界観、安価であることの正しさ、課題や同情が先に立つ語り口、それらと「真逆の翻訳」を選ぶ。高品質で、価格も正当に、グローバルブランドと戦えるクリエイティブで。反対方向へ走ることは、勇気ではない。私にとっては「世界のブランドと同じ世界に立つ」ための手法だった。
そして七年後。ブランドの頂点ともいえるパリ・ファッションウィークで、森永邦彦さん率いるANREALAGEと協働し、ヘラルボニー契約作家18名のアート23点が、ショーの中心へと羽ばたいた。現地入りしていた中川ももこさん、鳥山シュウさんは、フィナーレで大きな拍手喝采を浴びた、涙が出た。重度の知的障害を伴う作家が、世界で始めてパリの中心に座り、光を浴び、喝采を受ける。その事実が、どれほどの重さで歴史に刻まれるのだろうか。あれは成功の瞬間ではなく、価値の定義が、静かに書き換わった瞬間だったように思う。世界が、作品を「かわいそう」ではなく、「美しい」と受け取った。その受け取り方の変化こそが、文化の転回点なのだと信じている。
この出来事を説明するために、私は社内でよく1977年のニューヨーク大停電のことを話す。サウス・ブロンクスやハーレムの貧困地域で、多くの若者たちがターンテーブルやミキサー、スピーカーを持ち出し、ヒップホップは誕生した。本カルチャーは単なる流行ではなく、黒人社会の怒りや誇り、貧困や差別への抵抗、アイデンティティの葛藤「語られなかった現実」が、音楽として可視化された叫びだ。
やがてヒップホップは商業化され、ファッションや広告、ビジネスと結びつき、巨大な産業になっていく。だが、ヒップホップが世界に広がった最大の理由は、それが「正解を押しつけない文化」だったからだと私は思う。学歴も肩書きも出自も関係ない。ただ自分の人生を自分の言葉で語ること。それが尊重される。だからこそ、周縁に置かれてきた人々、声を奪われてきた人々、評価されてこなかった才能が集まり、世界の価値観そのものを更新していった。ヒップホップとは音楽ジャンルではなく、「周縁にいた人が自分自身を取り戻すための文化」だったのだ。
誤解を恐れずに言えば、私はヘラルボニーのストーリーを、ヒップホップと同様の道筋を描いて欲しいと願って行動している(ただ単にヒップホップが大好きであることもあるが)。周縁から生まれた表現が、やがて世界の中心に立つ。そこにあるのは流行ではなく必然だからだ。強かったから席巻したのではない。人々の弱さを誇りに変換してきたから、世界が共感したのだ。
では、ヘラルボニーとは何をしている存在なのか。私は「価値の翻訳」と呼びたい。翻訳とは、原文を歪めず、同時に異なる読者へ届く形へ移し替える技術である。障害のある作家の創作の源泉の美しさを損なわずに、価格・流通・契約・デザインという異言語へ置き換える。福祉でも支援でもなく、「経済力」として社会に接続する。
その試みは、称賛と誤解の両方を呼んできた。だが私は、文化としてカルチャー化するためには、市場を拒むのではなく、市場を「倫理装置」として再設計できると信じている。作家を守るのは同情ではない。対等な契約であり、継続する需要であり、正しい対価だ。異彩は、保護されるべき弱さではなく、社会の解像度を上げる強さに変貌できる。
「戦略的と本能的とが混ざってるのがいい広告なんです。ちゃんと矛盾を含んでいるから」
古川さんの言葉が、いまも脳内で反芻する。私たちの歩みは、たしかに戦略と本能の混同だった。創業者として私は、兄を心の中心に置きながら、「市場」を信じたい。支援は優しい。だが、持続しない。市場は厳しい。だが、継続する。障害とアート、経済のあいだで。

